大和市民活動センター


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★第72回連続共育セミナー

アニメ映画 『無念』 (浪江町消防団物語)  上映会

    〜被災地から学ぶ“防災”〜

 

広報用チラシ(PDF)

2016年7月17日(日)10:00〜12:00に行われた連続共育セミナーの内容(概要)をお伝えします。

 

お話 :一般社団法人やまとボランティアネットワーク  市原信行さん
    NPO法人よこはま・七つ星 高松清美さん
    ゆらり大和 野間康彰さん
場所 :大和市勤労福祉会館 3階ホール

浪江町消防団員の胸の中に今も渦巻く「無念」の想いとは―。原発から10q圏内に位置する浪江町。助けられる命がありながら、放射能汚染により救助に向かえなかった消防団の苦悩を描いたアニメーション映画を上映します。後半は被災地でボランティア活動を行う3名の方からお話を伺います。



 

 

内容

第1部

【アニメ映画 『無念』 (浪江町消防団物語) 上映】

(はじめに)
2012年1月、広島の市民グループにより「 東日本大震災で被災した東北地方に伝わる民話やいわれ、まちの物語を東北の人に教えていただき紙芝居に起こし、それをお届けしようという『東北まち物語紙芝居化100本プロジェクト』」がスタートしました。

 

 

2012年末には50本の紙芝居が完成しました。震災から5年がたった2016年3月、福島県浪江町の「浪江まち物語つたえ隊」と広島の「まち物語制作委員会」は、『東北まち物語紙芝居化100本プロジェクト』の続編として、紙芝居をもとに、アニメーション映画『無念』(浪江町消防団物語)を完成させました。約半年の間に全国300ヵ所以上で自主上映されました。英語、仏語の字幕も完成し、2017年3月にはフランスの3カ所(5会場)で上映会が開催されます。

 

 

(2011年3月11日から12日の浪江町)

2011年3月11日(金)午後2時46分地震発生。福島県浪江町請戸地区に津波が到達したのは地震発生から約40分後の午後3時26分頃。浪江町消防団は住民の捜索を行う。3月11日の浪江町の日没時間は午後5時39分。瓦礫の中から助けを求める声が聞こえていたが、暗闇の中、2次災害の恐れもあり救助は翌朝に持ち越すしかなかった。最後の救助は午後8時頃。福島第一原発から放射能漏れ事故が発生。午後9時23分、政府は「半径3km圏内避難・10km屋内待避」を指示。12日(土)午前5時44分、「半径10km圏内」に避難指示が拡大した。3月12日の浪江町の日の出時刻は5時53分。夜明けから行うはずだった救助活動を再開することはできず住民への避難を呼びかけることになった。消防団の活動は昼頃終了し、住民の避難も午後の早い時間にほぼ完了した(消防本部による救助活動は12日夜まで続けられたが、隊員の多くを避難の支援にあてざるをえなかった)。

 

大地震と津波の被害から、原発事故へと事態が移り変わる中、救助活動を断念せざるを得なかった浪江町消防団員の「無念」の想いが浮かびあがります。紙芝居のように止まった絵をつなげた作品なのですが、恐怖を感じるほどの臨場感がありました。俳優の大地康夫さんの他、浪江町長、町民のみなさん16人が声で出演しています。

 

 

第2部

【被災地から学ぶ“防災”】 
2016年4月14日(水)午後9時26分、マグニチュード6.5の熊本地震が発生しました。熊本県益城町では震度7を観測しました。28時間後の16日(木)午前1時25分にはマグニチュード7.3、西原村と益城町で震度7を観測する地震が起きました。後に起こった地震が本震でした。熊本地震の被災地でボランティア活動を行った3名の方からお話をお聞きしました。

 

 

(一般社団法人やまと災害ボランティアネットワーク 代表 市原信行さん)
4月24日、先遣隊として被災地にお伺いしました。南阿蘇村の東海大学阿蘇キャンパス(農学部)の学生寮は大変な被害状況でした。24日は、西原村災害ボランティアセンターを開設する準備段階でした。27日に災害ボランティアセンター設置準備会議を行い、27日・28日は天候が悪く開設することができず、4月29日に開設となりました。

 

4月25日、支援物資にばらつきがありました。行政と自衛隊担当者が対応していました。女性への配慮はたりていませんでした。活動資材は不足していました。避難所ではノロウイルスが発生しているところがありました。清掃ができなかったこと、雨天が続いたこと、避難所の体育館の出入り口が泥だらけだったことなどが原因のようです。

 

ゴールデンウィーク頃までは物資は不足していましたが、その後は大丈夫でした。ゴールデンウィークが明けた後、ボランティアの人数は減少していました。支援物資は足りて、必要な人に行きわたっていました。私的な避難者(車・テント・個人宅)はまだ多くあり、把握できていませんでした。

 

課題としては、被災者のニーズの調査が必要であること、地域を荒らす人が出てきたが地域で解決するしかないことなどがありました。これまでの経験から、公助は数十日以上経ってからしかきません。それまでは自助・共助で乗り切るしかありません。家具の転倒防止については、これまでずっと言い続けてきましたから、みなさん済んでいるはずと思いたいです。

 

これからの防災・減災は?

「当たり前のことを当たり前に」

・地震は起きる。火災は起こる。家具転倒は起きる。

・飲み水準備、食料準備は当たり前。

・準備は当たり前。多くの災害事例を今一度確認し、置き換えましょう。

 

 

 

(NPO法人よこはま・七つ星 高松清美さん)

熊本地震発生後11日目、4月25日に被災地に入りました。場所は南阿蘇中学校の避難所です。避難所は昼間は混んでいて、夜は人がいませんでした。避難所に上がるところがドロドロで不衛生と感じました。トイレは2基(男性用と女性用1基ずつ)で、使用するのが大変なほど汚れていました。被災地には凝固剤を持っていきます(いつも持ち歩いています)。ビニール袋と凝固剤があれば陰で用を足すこともできます。男性はどこでもできますから困らないですね。

 

支援物資は女性用、男性用と分けてありましたが、下着など持ち出しにくい感じでした。すこし見えないところに置くように運営の方に頼みました。被災地ではレイプ事件は起きていますが報道されていません。阪神淡路大震災でも、東日本大震災でも起きていますが、犯人が地元の人なので言えなかったりしています。夜でも、昼でも、女性は絶対に一人で歩いてはいけません。笛とライトを持ち歩くこと。夜、仮設トイレの周りは真っ暗です。2人では待っているときに1人になって怖いです。必ず3人で行きましょう。

 

災害時に必要なこと

(1)普段外出するときに、防災用のどんな持ち物を準備していますか? 
   あれもこれもと考えるとたくさんの物を持つようになってしまいますから厳選しましょう。
  ・レジ袋はとっさのときに役立ちます。三角巾として怪我した腕の固定、おむつカバーの替え、
    子どもの防寒用ベスト、凝固剤とセットでトイレ。ティッシュなどのクッションを敷き、
    頭にかぶって頭巾。

  ・給水車が来た時、みなさん何も持っていないです。レジ袋があれば水が確保できます。
    いつも2枚携帯しましょう。

(2)子どものために、おもちゃやぬいぐるみも防災グッズの中に入れておきましょう。

(3)スプレーが1つあるだけで違います。
   水やお茶を入れてシュッと一吹きするだけでも気分が良くなります。

(4) 災害時に配慮が必要な要配慮者(高齢者、障害者、妊産婦や乳幼児、日本語がわからない外国人)、
   その中でも自ら避難することが難しい避難行動要支援者の情報を共有する。

 

 

 

(ゆらり大和 野間康彰さん)

福島の子どもたちを藤沢に呼び、お風呂や海に連れていく活動をしています。マイクロバスで迎えに行っています。熊本地震では「チーム藤沢」として4月24日〜27日に熊本へ行きました。熊本地震では(1)職場のスタッフの実家が被災し車中泊で避難していたこと、(2) アウトドア用品製造販売の株式会社スノーピーク(熊本地震でテントなどの支援物資を全国から募集し被災者に届ける活動を行った)に友人がいたこと、(3) 「チーム藤沢」の立ち上げで知り合いがいたこと、この3点が瞬時につながったことが支援活動のきっかけとなりました。

 

活動の目標
(1)エコノミー症候群を防ぐため車中泊の方を助けること
(2)神奈川県に戻った後、支援に必用な情報を集めるための拠点づくり

 

テント15張りを確保してあったのですが、到着すると7張りしかもらえませんでした。熊本市の平成中央公園でテントを積んだところで、テント希望の方から連絡がありました。公園で待ち合わせて直接お渡ししました。この方の自宅を配送拠点にさせていただきました。次に八代市で学習塾を開いている健太郎さんを訪ね、テントの配布を依頼しました。塾なので地元の情報に詳しいのです。次にスナックを支援物資の拠点とさせていただきました。

 

次に益城町の広安小学校へ行き、友人の医師に支援物資拠点を依頼をしました。

 

4月27日にほぼ全壊の村へ行きました。瓦礫で喉が痛くなるほどで、壊滅的で絶望を感じるような過酷な状況でした。ここをテントとコンテナ支援を早急に調整する最重要ポイントとしました。3〜4人の若者が家々を回りテントを建てていました。

 

被災地の地元に物はたくさん売っていました。テントも売っていました。でも仕事を失っているのでお金を使うことができず、買えません。人々が物を買わなくなる(物が売れなくなる)のは震災の3次被害ではないでしょうか。ですのでこちらからは支援金を持っていき、地元で物資を買うのも良いです。

 

感じたこととこれから

意外に地元の人同士がつながっていませんでした。被災地で出会った人々を点として、「チーム藤沢」を中心につながりの輪作りをしました。被災地で感じたことは、近所同士の顔が繋がっているところはなんとかなるということです。「神奈川県に帰ったら自治会などでつながりを作るといい」と言われました。

・東北・熊本を忘れないこと。

・何か自分にできることを。

・被災地の人々はいつかの自分たちかもしれない。

・「防災」の意識を持っていこう。

 

 

 

 

 イメージイメージ 

 

 

 

 

 

 

 

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